2019年12月

御所の建礼門から南に真っ直ぐに伸びる正路が、九條池の高倉橋にあたる少し手前に、「黒木の梅」がある。そこにある説明板には、『「黒木の梅」は、九條家跡にあったものを大正天皇即位大礼の時、現在の場所に移植されましたが枯れてしまい、現在の木は接木により植継された ...

仙洞御所の表門と烏丸通に面した出水口とを結ぶ砂利道の北側、表門から2分ほどの所に、寛文3年(1663)に後西天皇退位後の御所「凝華洞(ぎょうかどうあと」があった。『江戸時代第111代、後西天皇退位後の仙洞御所があったところといわれています。元治元年(18 ...

京都御苑を寺町御門から入ると、右に仙洞御所の築地塀、左に富小路広場がある。右側にある仙洞御所は、譲位した天皇が住まいする所で、仙洞とは元仙人の住む処をいい、天皇の位を譲って世俗と離れ、仙人の境地になる住処として、名付けられた。仙洞御所は京都御苑の南東にあ ...

富小路広場から仙洞御所の築地塀にあたると、右に御苑の門が見える。これが「寺町御門」である。京都御苑の東側、寺町通に面した門で、東側にある三つの門の中で、一番南に一するのが「寺町御門」である。京都駅から市バスで京都御苑に行く時は、河原町通を上るバスに乗り「 ...

富小路広場の北、前に仙洞御所の土塀が見える辺りが、桜町と呼ばれる場所だったようである。駒札には、『紀貫之の邸宅で、桜が多くうえられていた名庭があったという桜町の屋敷は、このあたりにあったと考えられています。源氏物語に描かれた末摘花(すえつむはな)の邸宅、 ...

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