2019年11月

京一番の繁華街、四条河原町通の交差点から北に200mほど上った左側の、今は回転すしの店がある所に、小さな石碑が建っている。その石碑には「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」と刻まれており、ここが龍馬と慎太郎が暗殺された近江屋があった場所である。近江屋は醤油商で ...

大政奉還を成し終えて、龍馬は近江屋に潜むのだが、暗殺される5日前に福井藩の中根雪江に出した手紙が最近発見された。手紙は、慶応3年11月10日付で、縦16センチ、横92センチの和紙に毛筆で書かれている。それは、『一筆啓上仕候、此度越前老侯、御上京相被成候段 ...

土佐藩の倒幕派兵が実現しないことで、薩土盟約が解消されるのだが、龍馬や象二郎らは、武力倒幕ではなく、あくまで平穏裡に政権を返還しようと、大政奉還の建白書を幕府に提出するのである。久し振りに故郷の土佐で、心を休めた龍馬は、実家に2泊し、再び「震天丸」にて大 ...

慶応3年9月24日、長崎から小銃千挺を積んだ「震天丸」が、土佐の浦戸湾に着いた。龍馬は5年半ぶりに故郷に戻るのである。浦戸の港に入ってから5日後に、上町一丁目の実家に立ち戻り、兄権平や乙女姉さん等と対面し、家族内々で談笑し旨い酒を飲み、久し振りにゆっくり ...

京都上京区の三本木は、江戸時代には鴨川から東山を眺める風光明媚な地であり、後に桂小五郎(木戸孝允)の妻となる幾松などの芸妓がいた花街だった所である。龍馬や慎太郎が京にいない間の京での土佐藩は、上士の乾退助(板垣退助)らが武力討伐を唱えていた。板垣は薩摩の ...

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