2019年10月

伏見奉行所の手の者が寺田屋に踏み込んで来、龍馬と慎蔵は身構えるのだが・・・「間もなく、壱人の男障子細目に明ケ内をうかがふ。見れバ大小指込なれバ、何者なるやと問しに、つか/\と入り来れバ、すぐに此方も身がまへ致セバ、又引取りたり。早次ギの間もミシ/\物音す ...

坂本龍馬は薩長同盟の盟約が成立してすぐの、慶応2年(1866)1月23日に、長州の三吉慎蔵と共に寺田屋へ戻り、盟約成立の祝杯を挙げていたのだが、明けの2時頃に伏見奉行所の取り方、百数十人に囲まれてしまうのである。この異変に気付いた、お龍は風呂から裸のまま ...

京都の伏見にある旅籠「寺田屋」は、幕末の歴史の一幕を担う建物であり、二つの寺田屋事件が起こっている。寺田屋は、京阪電車「中書島」の駅から北に5分ほど歩くと、豪川に架かる『宝来橋』が見えてくる。その橋を渡り真直ぐに行くと「龍馬通り」商店街、左に折れると「寺 ...

坂本龍馬は長州で木戸孝允と、中岡慎太郎は薩摩で西郷隆盛と会う。下関で西郷と木戸が会見することを取り付けるのだが、この時、西郷が不安視をし、下関には現れなかった。長州の木戸らはこれを詰り(なじり)取り付く島もなかったのだが、龍馬は一計を案じ、徳川幕府の第二 ...

倒幕の最大の要因となった「薩長同盟」が、京の小松帯刀の屋敷で成立する。この同盟に大きく関わったのが薩摩の小松帯刀と、土佐の坂本龍馬・中岡慎太郎である。薩摩と長州は、同じ尊王の志を持っていたのだが、薩摩藩主・島津久光と長州藩主・毛利敬親との調停での主導権争 ...

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