2019年09月

高知市鴨部の鏡川に架かるのが「紅葉橋」で、昔の名を「雁切橋」と言う。この辺りは、城下の本町筋五丁目の思案橋から棒堤、朝倉村への往還だった。雁切橋下流の河原の雁切河原は、円行寺、九反田と共に城下の三刑場であった。藩政時代には橋はなく、渡し船で対岸を往復した ...

JR土讃線で高知駅から西に1駅の「入明」で降り、東に歩いて5分の高知市洞ケ島町に薫的神社がある。山田橋にあった獄舎は、今、洞ケ島町の薫的神社の境内に残っている。獄舎が何故この神社にあるのかは、牢横の説明書きによると『くんてき様がこの御牢で冤罪のために七年 ...

JR高知駅から電車の走る道を南に、高知橋を左に折れ、高知八幡宮が川向こうに見えると、右手前方に山田橋が見えてくる。山田橋は車道も狭くコンクリートの古い欄干の橋だが、歩行者用に、すぐ横にも橋が架かっているのだが、この橋も鉄製で欄干は錆が浮いている。山田橋番 ...

岡田以蔵は幕末の土佐藩郷士で、人斬り以蔵の異名で知られた人物である。岡田以蔵は、天保9年(1838)土佐の香美郡岩村(現、高知県南国市)の郷士の家に生まれる。嘉永元年(1848)に高知城下の七軒町(現、高知市相生町)に移り住む。武市瑞山に師事し、小野派一 ...

龍馬伝に人斬りと呼ばれた土佐の岡田以蔵が登場する。幕末という動乱期に人斬りと呼ばれた四人の人物がいる。田中新兵衛(たなかしんべえ:天保3年(1832)~文久3年(1863))出自は武士ではなく、薩摩前ノ浜の船頭の子である。示現流を使い、一の太刀で勝負をつ ...

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