2018年06月

深泥池は京の北、鞍馬街道沿いの上賀茂深泥池町と狭間町にある池である。 深泥池と書いて「みどろ(が)いけ」と「みぞろ(が)いけ」の二通りの読み方があるのだが、この辺りの地名では「みどろ」と読む方が多いようである。 しかし京都市では「みぞろ(が)いけ」と ...

いにしえの神々が棲み上賀茂神社とともに、京都の黎明期を伝えるのが、下鴨神社である。 山背国一の宮で、その起源はきわめて古く、上賀茂神社とともに平安京の出来た頃は、皇居の鎮護として崇敬されていた。 下鴨の祭神玉衣日売命(たまよりひめみこと)は、上賀 ...

二の鳥居をくぐり、ほぼ正面にあるのが「細殿」である。その前に円錐の形をした二つの砂がある。 これを「立砂」と云う。 立砂は、また盛砂とも呼ばれ「たつ」は神様のご出現に由来した言葉で、 神代の昔、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷神」が降臨された神山(こうや ...

平安京より前、人々は京都盆地を囲む山裾にkらしていた。そんな中、洛北の地には古代豪族の賀茂一族が勢力を広げていた。 賀茂一族の氏神だったのが「上賀茂神社」である。 上賀茂神社の正式名は、賀茂別雷神社といいその縁起は、太古の昔、山背国の豪族賀茂氏の ...

広隆寺前の三条通を西に歩くと、帷子ノ辻である。帷子とは一重の着物のことで、壇林皇后は、亡骸を嵯峨野に葬るようにと遺言をした。 嵯峨天皇の皇后である壇林皇后(橘嘉智子)は美貌の持ち主で、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされ ...

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