鳥居をくぐり境内に入ると、そこには圧倒的に女性が多い行列が出来ていた。その先にあったのが「縁切り縁結びの碑」。 随分前に訪ねた時にはこんな行列はなかったのに、縁を切るのも結ぶのも今は大変だなと思った次第である。 駒札には、 『当宮の主祭神数徳天 ...
2018年05月
安井金毘羅宮(祇園)-千年の都に潜む謎-
東山に安井金毘羅宮という神社がある。 38代天智天皇の治世に、藤原鎌足が観音堂を建立し一門の栄華を祈願したことに始まる。 藤の花が植えられたことから「藤寺」と呼ばれた。 年は下がり、75代の崇徳天皇はこの神社の藤を愛で、久安2年(1145)に寵 ...
瀬を早み岩にせかるる滝川の(祇園)-千年の都に潜む謎-
崇徳院について、もう一つの余談、 「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」その意味は、 「川の瀬の流れが速く、岩に堰き止められた急流が二つに分かれても、すぐに一つになるように、今は分かれている愛しい人とも、後々にはきっと会えると思っ ...
お俊伝兵衛恋情塚(春日北通)-千年の都に潜む謎-
余談だが積善院の境内には、昭和27年に 義太夫節の豊竹山城少椽(しょうじょう)や歌舞伎役者の中村雁冶郎・片岡仁左衛門らが発起人となり、近松半二の浄瑠璃「近頃河原達引」の主人公「お俊・伝兵衛恋情塚」が建つ。 頃は、享保19年(1734)11月16日 ...
人喰い地蔵(春日北通)-千年の都に潜む謎-
祇園から北に2Kmほどの聖護院の南西に、崇徳院の御所があったといい、聖護院の東隣りには、その塔頭である「積善院凖提堂」がある。 積善院の創建はよく分かっていないのだが、鎌倉時代に熊野神社の北西に創られたといい、聖護院の門跡代行としての地位を与えられてい ...