華やかな祇園の一角に、崇徳廟という祇園には不釣り合いな天皇の御廟がある。 ここは、怨霊となった崇徳天皇の霊を慰めるために、崇徳が愛した阿波内侍が、遺髪を貰い受け自宅跡に塚を建てたのが始まりだという。 駒札によれば、『崇徳上皇(75代)は、平安時代 ...
2018年04月
小野篁と紫式部の墓所(堀川通)-千年の都に潜む謎-
小野篁が紫式部を地獄で擁護したことから、小野篁の墓所の側に紫式部の菩提も弔われているのである。 京都駅から9系統のバスに乗り、堀川通を北に「堀川鞍馬口」で降りると、すぐ目に入るのが島津製作所の紫野工場。 その工場の塀が、先の北大路通まで続くのだが ...
小野篁(嵯峨釈迦堂)-千年の都に潜む謎-
この世とあの世を行き来した小野篁は、平安時代初めの公家、文人である。 従三位に律しられた身分であり、このような人物が、この世とあの世を何故行き来出来たのかという疑問が湧くのだが・・・ 小野篁は遣唐使で中国に渡った小野妹子の子孫であり、その才能は秀 ...
生の六道(嵯峨釈迦堂)-千年の都に潜む謎-
小野篁が六道珍皇寺の冥界の井戸から、あの世の地獄へと向かったのだが、この世に帰るのに嵯峨釈迦堂にあった、招金山福正寺の井戸から戻ったという。 清涼寺の境内、本堂の西隣にあるのが「嵯峨薬師寺」である。 境内には三地蔵尊(「生六道地蔵菩薩の分身」「夕 ...
栖霞観跡(嵯峨釈迦堂)-千年の都に潜む謎-
清涼寺の起りは、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる:822~895)が9世紀後半に営んだ山荘「栖霞観(せいかかん)」であると云う。 本堂の東側にあるのが「阿弥陀堂」で、旧栖霞寺の本尊の「阿弥陀三尊像」が安置されていた。 栖霞寺は源融が嵯 ...