2018年01月

三条大橋から三条通を西に、寺町通と交差する角を右に曲がると、北東の角に「矢田寺」がある。 矢田寺の本堂に安置されている地蔵菩薩(矢田地蔵)は、阿鼻叫喚の地獄で人々の苦しみを救う生身の地蔵として、代受苦地蔵とも呼ばれ厚く信仰されている。 平安時代初 ...

慶応3年(1867)3月、伊東甲子太郎が御陵衛士となり、新選組を離脱する。 同年6月に新選組は会津藩預りから幕臣の身分となり、近藤勇は旗本に取り立てられる。 この頃に西本願寺から不動堂村に屯所を移している。 慶応3年10月に大政奉還が行われる。 ...

元治元年(1864)7月に起きた「池田屋事件」は、新選組の名を一躍世に知らしめた事件である。 池田屋事件は、文久3年(1863)8月に、京から長州藩が追放されると、尊王攘夷の志士たちは、勢力も挽回を目論んでいた。 そんな中、新選組は四条小橋上るで ...

そしてもう一人、三条河原で晒し首になった人物がいる。新選組局長の近藤勇である。 近藤勇といえば幕末に京の治安を担った、新選組の局長だった人物である。 天保5年(1834)10月、武蔵国多摩郡(東京都調布市)の百姓の三男として生まれている。 15 ...

豊臣秀次の一族が阿鼻叫喚と化した処刑から時が過ぎ、江戸末期・幕末の文久2年(1862)11月、三条河原の畔にひとりの女が柱に縛られ、生き晒しにされるのである。 その女は、幕府の大老・井伊直弼の寵愛を受け、勤皇志士の動向を探る密偵として働いた、村山可 ...

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