2017年10月

西陣という石碑が二つある。どちらが先に建てられたのか・・・ 一つは、京都考古資料館の前に立つ「西陣」の石碑。碑文には、 『京都帝国大学総長医学博士荒木寅三郎閣下篆額。古来朝廷には大蔵省に織部司ありて、綾錦を織り及び染物の事を掌れる。 後、其業民 ...

烏丸今出川の交差点から、烏丸通を北に歩くと、西北角に、通称「御寺御所(みてらごしょ)」と呼ばれる「大聖寺」がある。 この辺りに「花の御所」と呼ばれる、足利将軍の屋敷があり、細川勝元率いる東軍の陣があった所である。 大聖寺は、臨済宗相国寺派の尼門跡 ...

西陣の名は、応仁の乱で堀川の西側に山名宗全の屋敷があり、ここが西軍の陣となったことから、後に「西陣」と呼ばれるようになった。 山名宗全邸跡の石碑は、ここから西に50mほどの所にあるのだが、この石碑を見てここが山名邸の跡だと思い、その先を訪ねることは ...

西陣と東陣で外せないのが「応仁の乱」である。 ここからは少し、応仁の乱について話を進めようとおもうのだが、すでに勃発の地のことを書いたので、応仁の乱最大の激戦地のことを話してみたい。 講談師見てきたような嘘をつきとあるが、応仁の乱で激戦とされた戦 ...

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