四条大橋の東側南詰に「南座」がある。南座があれば、北座があってということになるのだが、今「北座」は存在しない。 江戸時代の中頃、鴨川の西岸に堤が築かれ、その河原は新地と呼ばれ、芝居小屋が立つことになる。 元禄の頃には7軒の芝居小屋が立つのだが、明治維 ...
2017年09月
東寺と西寺(西寺)-京都、対をゆく-
東寺が今にその姿を留めたのに対して、西寺が跡かたもなく衰退していったのは何故だろうかとの疑問が湧く。 東寺から九条通を西に歩くと羅城門の址があり、そこから西に500m程歩き、七本松通を北に200m程行くと「唐橋西寺公園」がある。 このあたり一帯が ...
東寺と西寺(東寺)-京都、対をゆく-
平安京朱雀大路の南の端には、羅城門が建てられた。この羅城門を挟んで、東寺と西寺の二大官寺が堂塔伽藍をそびえさせていた。 東寺は、幾多の火災にあったが、都度再建をされ今に残っているのに対し、 西寺は鎌倉時代の天福元年(1233)に堂塔伽藍が焼失してか ...
本願寺の歴史-京都、対をゆく-
本願寺の起こりは、弘長2年(1262)に親鸞が90歳で示滅し、その墓所を鳥辺野の北大谷に設けたのが始まりとされる。 その後、紆余曲折を経て、元亨元年(1314)親鸞の御影像を安置した大谷影堂を再建し、本願寺と称するようになった。 ところが積極的な ...
東本願寺と西本願寺-京都、対をゆく-
小町の美を追求した次ぎは、京の町には、朱雀大路を中心に「右京」と「左京」のように、 東西や南北に対(つい)をなすものがあり、今回は「京の対」なるものを、ぶらりと歩いてみようと思うのである。 京都駅から歩いて10分ほどの所に、二つの本願寺がある。一つ ...