「西陣」と呼ばれるようになった「応仁の乱」は、室町幕府管領家の些細な家督争いに端を発しており、その幕開けとなったのが、上御霊神社一帯の地であった。 文正2年(1467)の正月18日早朝に、この地で応仁の乱の始まりとなる最初の戦が行なわれた。 畠山 ...
2017年09月
西陣と東陣-京都、対をゆく-
京の北西部、上京と北区にまたがる一帯を「西陣」という。 東の堀川通から西の七本松通、北の鞍馬口通から南の中立売通あたりまでの、京都御所と北野天満宮に挟まれた地域を指すのだが、 明確な境界はなく、そもそも「西陣」という地名の住所は存在しないのであるのだ ...
南座と北座(北座)-京都、対をゆく-
四条河原にあった七つの歌舞伎座が、今は四条大橋東詰南側にある「南座」のみが残るのだが、 明治26年までは「北座」も存在しており、今はその跡を記す石碑が建っているのみで、 その他の五座は四条大橋辺りにあったということは判っていても、その場所は定かではな ...
南座と北座(南座)-京都、対をゆく-
四条大橋の東詰南側に「南座」がある。 江戸時代の元和年間(1615~24)に、京都所司代が四条通を挟み、7つの芝居小屋を公認したことに始り、その中で唯一、今に残るのが「南座」なのである。 正式には、「京都四条南座」と言い、江戸時代から続く、日本最 ...
南座と北座(歌舞伎発祥地)-京都、対をゆく-
四条大橋を渡ると南座がある。大概は正面の入口からの風景を眺めるのだが、鴨川に面した通りに南座の楽屋口があるのを見つけた。 いつも何気なく通り過ぎていたのだが、少し違った目線で眺めるとこんな小さな発見が出来る。 楽屋口の横に「阿国歌舞伎発祥地」の石碑 ...