妙教寺のあたりは、淀城があった所だという。 淀城と書いたが、現在の淀藩の城跡ではなく、それよりも古い城で、茶々が産褥のために住んだ城で、江戸時代の淀城に対し、淀古城と呼ばれる。 ここに城があった証は何もないのだが、唯一、妙教寺の中にその跡を ...
2017年07月
妙教寺-ほろびの美学・新選組-
納所(のうそ)の交差点から千本通を北に、五番ノ橋を渡ると「妙教寺」ある。 妙教寺は法華宗真門流の寺院で、宝泉院日孝を開山とし、大坂の法華又左衛門貞清が開創した寺である。 淀城主の松平定綱が寺域を寄進したのだが、鳥羽伏見の戦いで被災をするが、幸いに ...
五番ノ橋-閑話休題-
唐人雁木跡から千本通を北に少し歩くと、古めかしい橋があった。欄干に刻まれた文字には「五番ノ橋」とあった。 この橋は、明治45年(1912)に千本通(鳥羽街道)の納所(のうそ)川に架けられた橋である。 何の変哲もない橋だと思っていたのだが、橋桁はア ...
唐人雁木旧跡-閑話休題-
話はそれるが、伏見区淀・納所町の旧京阪国道の交差点から千本通が始まる。 千本通は平安京の朱雀大路であり、北は北区の鷹峯まで続く長い通りである。その南の始りがここなのである。 唐人雁木の石碑は、納所(のうそ)の交差点から千本通に入ってすぐの所に建 ...
淀小橋旧跡-ほろびの美学・新選組-
千両松の古戦場から、元来た道を引き返す。淀の駅ではなく、少し右に寄った道を西に歩くと、「淀小橋旧址」の石碑が建っていた。 巨椋池の西にある淀は、昔から、宇治川・木津川・桂川が合流する地として、交通の要衝であった。 淀はまた、京都と伏見・大坂を結ぶ ...