2017年06月

二条城の北、竹屋通の堀川通の一つ西側にあるのが「猪熊通」で、ここを北に、猪熊町丸太通丸太町下る西側に、「京都所司代上屋敷跡」の石碑がある。 二条城北のこの辺りは、慶長6年に徳川幕府が設けた京都所司代があった所で、上屋敷、堀川屋敷、千本屋敷など、 ...

徳川の世が終わり、明治の治世となると京の町でも、徳川に纏わるものが廃れてゆくのだが、その名残のものが京の町に残っている。 その一つが、京都守護職屋敷門である。 平安神宮の観光バスが停まる駐車場(平安神宮の西、武道センター敷地内)に古びた門があるの ...

ほろびの美学として新選組を取り上げてきたのだが、新選組を預かった会津藩もまた、ほろびの美学への道を辿るのだが、ここからは会津藩との関わりも見ようと思う。 京都には京都所司代と、東と西の京都奉行所があったのだが、 安政の大獄を指導した大老・井伊直弼 ...

京都駅ビルを出てビルに沿って西へ進み、油小路を上り塩小路通の少し手前に、二つの神社がある。 一つは縁結びの道祖神社であり、その横には新選組のまぼろしの屯所「不動堂」とある、不動堂明王院がある。 道祖神社は、猿田彦命と天鈿女命(あめのうずめのみこと ...

東堀川通塩小路下るのリーガロイヤルホテルの前に不動堂村屯所跡の碑と近藤勇の歌碑が建っている。 壬生から西本願寺に移り、そしてこの不動堂村へと移ったのだが、その広さ1万平方メートルといわれ、 広大な敷地に大名屋敷と比べても遜色のない建物が建てられた ...

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