市バスの「三条京阪前」または、京阪電車「三条」の駅を出ると直ぐにあるのが「檀汪法林寺」である。「だんのうほうりんじ」と読み「だんのうさん」と呼ばれ、市民に親しまれている。 だん王さんへの入口は二つあり、ひとつは三条通に面し「三条京阪前」でバスを ...
2017年02月
若州小浜藩邸跡
神泉苑の近く、刀剣・古美術の開陽堂さんの前に立つのが「若州小浜藩邸跡」の石碑である。この辺りに小浜藩の屋敷があった。 駒札によれば、 『ここ池ノ内町一帯は、江戸時代京都所司代を三代21年の長きにわたって務めた、譜代名門の若州小浜藩酒井家12万2千 ...
佐久間象山遭難之地
三条通の高瀬川に架かる三条小橋から、木屋町通を北へ一丁(109m)ほど行ったところに、 佐久間象山遭難之碑が建立されているが、明治2年(1869)ここで佐久間象山が暗殺されている。 佐久間象山は長野松代藩の人で、幕末の洋学の第一人者であった。元治 ...
「鯨海酔候」の宿舎「智積院」
東大路通と七条通が交差する三叉路に面して、東福門院の旧殿の門を移築した、智積院の総門が建つ。 この東山七条の交差点は、京都駅から七条通を通り、清水寺や祇園へと行く市バス「100」「206」系統が、ここで左に曲がり北へと向っていく。 また東寺や九条を通 ...
佐藤政養招魂之碑
馬町の佐藤継信・忠信塚の前には、この塚を建てた、佐藤政養招魂碑がある。 佐藤政養は、幕末幕末の文政4年(1821)、出羽国飽海郡升川村(現・山形県飽海郡遊佐町)の農民の子として生まれている。 小さい頃から神童と言われ、庄内藩から江戸留学を許され、 ...