西郷隆盛が「近衛家の清少納言」と褒め称えた村岡局は、天明6年(1786)大覚寺門跡・津崎左京の娘として、嵯峨に生まれる。 嵯峨野には村岡局に関わるものが三つあり、 一つ目は、嵐山公園にある「津崎村岡局の銅像」 この銅像は、幕末の勤王家、津崎村岡 ...
2017年02月
古高俊太郎と山科毘沙門堂
山科毘沙門堂と古高俊太郎の関わりは、俊太郎の父が近江大津の代官に仕え、後に山科毘沙門堂門跡の家臣となったことで、俊太郎もこの門跡の近習となるのである。 その後、文久元年(1861)京に出た俊太郎は、河原町四条上るで筑前藩黒田家の御用達商人、升屋喜右 ...
山科毘沙門堂
JR山科の駅から毘沙門堂には、東海道本線をくぐって北側に、線路に沿って東に歩き、毘沙門堂への石碑がある道を左に折れ、真っ直ぐに北へと歩いて行く。 琵琶湖疏水に掛かる、安殊橋から北に三丁(327m)で毘沙門堂の参道に着く。 参道の入口に架かるのが「 ...
村山たか女の終焉の地「金福寺」
京都駅から5系統の市バスに乗り、左京区の「一乗寺下り松町」で降りて東に8分ほど歩いたところに「金福寺」があり、ここは松尾芭蕉ゆかりの「芭蕉庵」があり、 庵のまわりには石碑や句碑が多くあり、また与謝蕪村の墓もあることから、京都でも有名な俳跡として名高い寺 ...
だんのうさんと高橋俊璹
檀汪法林寺には、鷹司家諸大夫の高橋俊璹(たかはし としひさ)の墓がある。 高橋俊璹は、文化5年(1808)に京に生まれ、代々、鷹司家に仕える家柄で、9才の時から鷹司の政通(まさみち)、輔煕(すけひろ)父子に仕え、成人してから諸大夫となる。 飯泉喜 ...