維新の道を東に登ってゆく、その突き当りにあるのが「霊山護国神社」である。 霊山は東山三十六峰の一つで、その名は山景が鷲に似ていることから、インドの霊峰・霊鷲山(りょうじゅせん)にちなみ、名付けられたという。 もと正法寺の跡地で、木戸孝允・坂本龍馬 ...
2017年01月
維新の道
ねねの道の南の突き当りから京大和の前を通り、霊山五穀神社へと続く坂道を「維新の道」と言う。 その道の京大和の斜め向かいに「維新の道」の石碑が建つ。石碑の文字は松下幸之助氏の揮毫になる。 説明板には、 『慶応4年(明治元年:1868)5月10日の ...
翆紅館跡-京大和-
春光院から東山の霊山のふもと、霊山護国神社への参道である維新の道を200mほど登った右側に、今は、京料理「京大和」となっている所が、翆紅館があった所である。 翆紅館は、平安遷都の少し前、延暦元年(782)に、正法寺の塔頭として建てられた東光寺が始ま ...
春光院-月照と西郷密議の寺-
再び、ねねの道へと戻る。 ねねの道の南口に、高台寺塔頭で臨済宗建仁寺派の「春光院」がある。 春光院は、寛永4年(1627)に、北政所が17才で亡くなった、甥・木下勝俊の娘を弔うために建立したもので、 寺名は法名「春光院万花紹三(しゅんこういんば ...
頼三樹三郎
長楽寺の頼家の墓所で、山陽の墓碑は見付けたのだが、そこ子・三樹三郎の墓碑は見付けることが出来なかった。 (というか、本当はこの時には三樹三郎のことは頭から失念をしていたのである) 頼三樹三郎は、文政8年(1825)に、頼山陽の三男として京都で生ま ...