2016年12月

靴を脱いで庫裏にあがり、そこからこじんまりとした庭園を眺める。 この庭園は、室町8代将軍・足利義政が銀閣寺を造る際に、相阿弥がそれをイメージして長楽寺に作ったものだと言い、 長楽寺山を借景とし、池を中心とした庭園が小さいながらも、その美しさが感じ ...

ここで長楽寺の境内をみると・・・ 「百八つの 一つをつきぬ 除夜の鐘」とある鐘楼である。 梵鐘は徳川4代将軍家綱の明暦3年(1657)に鋳造され、長楽寺の鐘として知られていたが、 太平洋戦争の最中、軍事供出という名目で鉄砲の弾に変わってしまい、 ...

建礼門院御塔の後ろに見えるのが、義太夫の竹本綱大夫の塚である。 竹本綱大夫は江戸から数えて8代を世襲する。 ここにある塚は、二代目の綱大夫で、京の織物屋で津国屋甚兵衛から義太夫語りとなった人物で、江戸時代の天明2年(1782)に、二代目綱大夫を襲 ...

長楽寺はまた「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」で始まる、平家物語の終章を語る寺として登場するのである。 平家と源氏の戦も壇ノ浦の合戦にて、平家の名立たる人物が討ち取られ、平家一門も覚悟を決め、主上の8才になる安徳天皇を尼前が抱いて「 ...

長楽寺の門を入り拝観料650円を払って境内に入るのだが、まだ紅葉には早いと言われたが、頼山陽の墓石などに参ると答え、境内の説明を受けて、まず目に入るのが長楽寺の本堂である。 長楽寺の本堂は、平安時代初期の延暦年間の創建になるもので、昌泰元年(898 ...

↑このページのトップヘ