2016年11月

天授院と幕末維新との繋がりは、ここに横井小楠の墓所があることである。 横井小楠は肥後藩士で幕末に多くの人に影響を与えた儒学者で、文化6年(1809)に肥後国熊本城下で生まれる。 幼少より才があり、若くして藩校の居寮長に命ぜられている。 熊本藩で ...

南禅寺山門の南にあるのが、南禅寺の塔頭で南禅寺の開祖である大明国師の塔所がる「天授庵」 天授庵は、南禅寺開山の無関普門(むかんふもん:大明国師)が、正応4年(1292)に東福寺の龍吟庵で亡くなり、 そこに塔所(墓所)を建てるのだが、開いた南禅寺に ...

南禅寺に着く。南禅寺といえば「湯豆腐」が思い浮かび、ここで湯豆腐の店といえば、奥丹と順正である。 今は湯豆腐の店「順正」となっている地には、幕末の天保10年(1839)に、新宮涼庭(りょうてい)が開いた「順正書院」という医学校があった所である。 ...

聴松院の西隣にあるのが、通称「だるま寺」と呼ばれる南禅寺塔頭の「慈氏院(じしいん)」がある。 慈氏院は、室町時代の至徳2年(1385)に、南禅寺44世の義堂周信が、室町幕府三代将軍の足利義満から土地を寄贈されて創建したという。 その後、寺勢は衰退 ...

京都市バスの一日乗車券を使い、京都の路地歩きを綴ったものです。京都では御所を中心に、南北の通りを、北に行くことを「上る」、南に行くことを「下る」と云い、東西の通りを、東に行くのを「東入る」、西に行くことを「西入る」と云います。四季折々に変化する「京都の町 ...

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