2016年09月

妙満寺の墓地には、昭和30年代にテレビ創成期を支えた、花登筺(はなと こばこ)の墓碑がある。 花登筺は昭和3年(1928)に大津市に生まれ、本名を花登善之助という。 若い頃は芝居役者を目指していたのだが、同志社大学を出て就職するも、結核を患い退社し ...

妙満寺では、毎年春の大法要に合わせて、鐘供養が行われているのだが、その鐘こそ「鐘に恨みは数々ござる」という娘道成寺で知られる、道成寺にあった鐘である。 道成寺の鐘といえば、安珍清姫の物語で重要な役割を果たす。 その昔、醍醐天皇の御代・延長6年(9 ...

「中川の井」の横に、もい一つの遺構「五条大橋橋脚石」がある。 駒札によれば、 『天正年間、豊臣秀吉公の命により架けられた五条大橋の橋脚の一部。 正面にかすかに「津国御影」と刻んだ文字の一部が浮かぶ。摂津の国(現在の神戸市)から、はるばる運ばれた ...

妙満寺の境内には二つ遺構がある。その一つが「京都名水 中川の井」。 中川の井は、豊臣秀吉の京都改造により、天正11年(1585)に寺町二条に再建された、旧妙満寺にあったものを、 昭和43年(1968)に、幡江戸のこの地に移転の際に、「中川の井」の遺 ...

仏舎利大塔を回り込むと、妙満寺16世と27世の二つの石碑が建つ。 石碑には「上総七里法華開基 心了院日泰上人報恩碑」と刻まれており、碑文によれば、 『妙満寺十六世、永享4年(1432)京都白川に生る。19歳寂光院日尊上人の門に入り叡山、高野山、奈良 ...

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