2016年03月

室町仏光寺の東南角に、町家に挟まれた黒塗りの冠木門(かぶきもん:柱の上に冠木(横木)を渡しただけで、屋根のない門をいう)がり、ここが「日吉神社」である。 日吉といえば、すぐに比叡山の麓、琵琶湖の坂本にある「日吉大社」を思い浮かべるのだが、この日吉神社 ...

室町通仏光寺上るにあった松本宗悟邸の石碑の横には、成徳尋常小学校があった跡を示す石碑が建つ。 この地は、明治2年(1869)に、新町通四条下るに開校した、第9番組小学校が、同9年(1878)に、この地に移り「成徳尋常小学校」となり、昭和6年(1 ...

蕪村の住まい跡から、仏光寺通を西に一つ目、室町通仏光寺上るに、松本宗悟が住んだ邸宅があった。 今は、1階が京呉服卸の店で、2階が伊賀流忍者道場、忍道具屋という珍しい店がある、この辺りが、室町時代後期の天文年間(1532~55)頃に、活躍した茶人 ...

江戸元禄の頃、松尾芭蕉は山城の国を吟行した時に、鉄舟和尚が再興した金福寺を訪れ、 雅について、この寺の庵で語り合ったといい、後に鉄舟和尚は、この庵を『芭蕉庵』と名付け、芭蕉の俳諧を偲んだという。 その後、与謝蕪村がここを訪れた頃には荒廃がすすみ、見る ...

与謝蕪村の生まれは終の住みかとした京都ではなく、大阪は摂津国毛馬村で生れるのだが、二十歳で家を出てからは、この家には帰っていないのである。 与謝蕪村は、摂津国東成郡毛馬村(現、大阪市都島区毛馬町)の豪農の家に生まれている。 しかしその出仕は複雑だっ ...

↑このページのトップヘ