勧修寺の読み方はというと、自分は「かんしゅうじ」と読んでいたのだが、正式には「かじゅうじ」と読むらしい。 昌泰3年(900)に醍醐天皇が藤原胤子(いんし)を弔うために開いたと伝わる門跡寺院である。 勧修寺の駒札によると、 『真言宗山階派の大本山で ...
2016年02月
三条右大臣歌碑
宮道神社には、宮道弥益(いやます)、列子(たまこ)を始めとして、列子の夫である藤原高藤、その子、定方、胤子ら 勧修寺ゆかりの人物が合祀されているが、三条右大臣と称された、高藤の次男、定方の歌碑が身や道神社の中に建っている。 百人一首にも選ばれた一首 ...
宮道神社
八幡宮の鳥居前、大岩街道を挟んで向かいにあるのが、宮道神社である。 宮道(みやじ)神社は勧修寺との関わりが深く、勧修寺は宇治の豪族であった宮道弥益(みやじのいやます)の屋敷を寺としたものだと言われている。 宮道弥益の娘が列子(たまこ)で、藤原高藤と ...
醍醐天皇御神水
八幡宮のなか、奥まった一角に醍醐天皇にゆかりの神水が湧く井戸がある。 境内の奥に静寂なる場所があり、そこに湧くのが御霊神水である。説明によれば、 『八幡宮は平安時代初期、鎮護国家霊場であった。 この場にて醍醐天皇が身を清められ、この水を灌頂(かん ...
太閤燈篭
八幡宮の境内には前田玄以は寄進したという燈篭があり、太閤燈篭と呼ばれている。 太閤燈篭は、 国家安泰・武運長久に霊験あらたかと豊臣秀吉公は、伏見城北東に位置する当宮を晩年崇敬するも慶長3年8月18日死去せられ、 その遺命により、寺社奉行前田玄以が ...