2015年08月

宇治川派流に架かる京阪電車の鉄橋を過ぎると、その先に「伏見港公園」がある。 伏見港公園は、宇治川派流が宇治川に注ぎ込む所に造られている。 伏見の港がその役目を終えて、その跡をどう利用するかと考えた時に、 その跡地にプールやテニスコート、体育館など ...

角倉了以水利紀功碑の碑から、宇治川派流を南に歩いて行くと、もう少しで伏見港公園となる手前に、京阪電車の鉄橋が架かっている。 京阪電車は正しくは「京阪電気鉄道株式会社」というのだが、関西人は京阪電車とよび親しんでいる。 あまり知られていないのだが、京 ...

旧高瀬川の小さな流れに沿って南に歩くと、高瀬川が宇治川派流に注ぎ込む。そこにあるのが「角倉了以水利紀功碑」である。 角倉了以(1554~1614)が、慶長16年(1611)に、京の二条から鴨川の水を、伏見まで流す高瀬川を開削し、京都と伏見の水運を開 ...

伏見長州藩邸跡から再び京橋へと戻り、橋を北に渡った一つ目の路地を西に入る。 小さな道の突き当りを右に、魚屋通に出て、豪川に架かる「阿波橋」から振り返ると「北川本家の乾蔵」が見える。 阿波橋を渡り、すぐ左に曲がって道なりに歩くと、雨水を流すような水 ...

京橋から竹田街道を南に歩くと、京都伏見土木事務所の前に「伏見長州藩邸跡」の石碑」が建っている。 寺田屋からも徒歩3分の所だが、ここも禁門の変(蛤御門の変)で戦いがあった所で、長州藩家老の福原越後が500の手勢を連れ、京都御所へと向かうのだが、 途中 ...

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