2015年08月

三栖閘門から宇治川の堤の上を東に歩くと、京都外環状線に沿うことになる。 京都外環状線は山科区の外環三条から、宇治市の六地蔵を経由し、伏見区の観月橋・外環横大路と伏見を通り、向日市の一文橋から長岡京市の今里に至る、京都市道である。 この外環状線は、車 ...

伏見の宇治川派流には、明治の中頃まで伏見と大阪を運航していた十石船と三十石船が、時を経て今に蘇えっている。 淀川の水運を発展させたのは豊臣秀吉であり、伏見と大阪の水運を大いに栄させたのだが、三十石船は徳川幕府のはじめに、伏見と大阪の間を結ぶ交通路とし ...

三栖閘門の横には、宇治川派流の水を堰き止める「三栖洗堰」がある。 堰とは、水を堰き止めるダムの小さいものだと思ってもらうと分かり易いのだが、要は上流から下流に流す水の量を調節する目的で設置される水門である。 堰には、固定堰と稼動堰とがあり、固定堰は ...

『三栖閘門は伏見港と宇治川を結ぶ施設として、昭和4年(1929)に造られました。 2つのゲートで閘室内の水位を調節し、水位の違う豪川と宇治川を連続させて、船を通す施設です。 昔は、たくさんの船が閘門を通って伏見と大阪の間を行き来していました。 現 ...

伏見港公園の先に見えるのが「三栖閘門」である。 閘門とは、水位の違う河川の間で船を上下させて、その間を運航出来るようにしたものである。閘門は3つの要素からなり、 閘室(船をここに入れ、水位を上下させるプールのようなものである。) 閘門扉(閘室の両 ...

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