2015年06月

前田正名の記念碑と同じ所にあったのが(こちらの方が先に目に入ったのだが)「京都解放運動戦士の碑」の碑である。 そばに建つ駒札によれば、 『日本人310万人、アジア人2千万人が殺された第二次世界大戦、その多大な惨禍と犠牲を払って、私たちは、主権在民と ...

崇泰院からさらに南に、三門への途中に「男爵 前田正名君 記念碑」と刻まれた石碑が建っていた。 そのに入る門は開いていて、前田何某なり人物もよく知らないままに、中に入ると・・・ まず右側の奇抜な形をした顕彰碑が目に入ったのだが、これは後ほどにして、そ ...

良正院の前には知恩院の黒門があり、ここから知恩院の境内に入ることも出来るのだが、ここは知恩院の正門である三門から入るのが筋だと思い、三門へと向かうことにした。 途中、崇泰院の門前に「本願寺発祥之地/蓮如上人御誕生之地/親鸞上人旧御廟所/元大谷崇泰院」 ...

戦友の碑が建つ所にあるのが「良正院」である。 良正院は知恩院の塔頭で、徳川家康の次女・督姫の菩提を弔うために、岡山藩主・池田忠雄が建てたものである。 門前の説明板によれば、 『知恩院の塔頭。岡山藩主池田忠雄公の母、良正院殿(徳川家康公の娘とく姫、 ...

瓜生石のある三叉路の北の角に良正院があるのだが、その門前に、肉弾の作者桜井忠温大佐が揮毫した「ここはお國を何百里」と刻まれた大きな石が建っている。 「ここはお國を何百里」と言われても、何のことやら分からない人は多いと思うのだが ...

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