上御霊神社を西に出て、烏丸通に出る手前の左側にあるのが「猿田彦神社」である。 猿田彦の神を祀る神社は多く、京都では右京区山ノ内(嵐電山ノ内の駅から西に500m)三条通に面して建つ、 山内庚申の猿田彦神社がよく知られているのだが、こんな所にも猿田彦神 ...
2015年04月
芭蕉句碑
ここにも芭蕉の句碑が建っている。芭蕉の句碑や塚は、北は北海道から南は鹿児島まで、さすが沖縄にだけは無いようで、沖縄を除く46都道府県に芭蕉に関係する何らかの碑が建っているのである。 碑には、「半日は 神を友にや とし忘」とあり、駒札によれば、 『松尾 ...
富士谷御杖詞碑
新村出の次に出会ったのが、富士谷御杖詞碑である。 詞碑には、 「底津磐根に宮はしらふと志り/高天原に氷木たかしるは/たゞかみつ世の宮づくりにあらず いでかしこきたくみの神のたまはる斉砥はかしてむ/手斧とくせよ てをのとくせよ 中臣御杖」と刻まれ ...
新村出歌碑
上御霊神社の境内には、「新村出」「冨士谷御杖」「松尾芭蕉」の句碑が建っている。まず目に入ったのが、新村出の歌碑であった。 石碑には、 「上御霊のみやしろに詣でてよめる「千早振 神のめぐみ深くして 八十ぢに満つる 幸を得にけり」昭和31年10月4日 新 ...
応仁の乱勃発地
またここは、応仁の乱が始った所であり、神社西の鳥居の横に「応仁の乱勃発地」の石碑が建っている。上御霊の辺り一帯が10年も続き京の町を荒廃させた、応仁の乱の最初の戦が行われた所なのである。 ここも駒札に、その由来をみると、 『文正2年(1467 ...