2014年11月

大宮中立売の交差点から、大宮通を北に1分の所に「名和長年の遺蹟」がある。さらに時代を遡ると、ここが藤原伊尹(これただ)の一条院があった所だと云われている。 (上京区大宮通中立売上る糸屋町(名和児童公園):平安京左京北辺二坊一町・四町跡) 名和児童公 ...

元弘3年(1333)に後醍醐天皇が親政を始め、翌1334年に、年号は建武と改められるが、 武家の所領問題や恩賞や、新しく設けた機関どうしの衝突など、早くも新政府の課題が露呈をしている。 建武2年(1334)になると、北条の残党が各地で反乱を起こすの ...

聚楽第東濠跡の碑が立つ、大宮中立売を北に少し上った所に、足利尊氏と戦い討死にをした、名和長年の遺蹟がある。 名和長年は後醍醐天皇を援け、建武の中興をなした人物で、のち足利尊氏の軍勢と戦い「太平記」では、この地で討死にをしたとされ、そこに顕彰碑が建立さ ...

梅雨の井から再び大宮通に戻り北に、ハローワーク京都西陣の向かい、大宮中立売の交差点の北西角に「聚楽第跡」の石碑が建つ。 その石碑の側面に「此付近 大内裏及び聚楽第東濠跡」と刻まれていた。 聚楽第は豊臣秀吉が京における邸宅兼政庁の場として、天正13年 ...

聚楽第の濠跡で大宮下長者町の鍵状の辻から北に少し歩くと、民家の壁に手作りの 「秀吉から四百年 つゆの井跡」と書かれた小さな看板があり、その横の細い道を西に、すぐ右に曲がると、空地の片隅に「梅雨の井」の名残がある。 この井戸は、秀吉が聚楽第を ...

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