2014年11月

正親小学校の前にある三つの石碑を見て、今回は餃子の王将で天津飯と餃子の定食を昼食とし、京極西陣を訪ねた後に一条通を東に大宮通へと戻ったのだが・・・。 それまでの大宮通は車もすれ違うのに大変な広さだったのだが、この大宮一条だけは急に通りが広くなり、ここ ...

正親(せいしん)小学校の前に建つ三つ目の石碑は「唐津小笠原藩邸跡」と刻まれている。 唐津藩は現在の佐賀県唐津市を支配した藩で、豊臣秀吉に仕えた寺沢宏高が、朝鮮出兵の折の手柄により、上松浦郡一帯の8万石余を与えられる。 関ヶ原の戦いでは徳川方に与し、 ...

正親小学校の前に立つ二つ目の石碑は、ここが平安宮の大蔵省と大宿直(とのい)があった場所を示す「平安宮大蔵省跡」の石碑。 その石碑の横に建つのが「源氏物語ゆかりの地」の説明板で、「平安宮大蔵省・大宿直跡」となっているのだが、 祖・庸・調を納める蔵と、 ...

勝福寺から中立売通を西に、正親(せいしん)小学校の前に石碑が三つ並んで立っている。始めに目に入るのが「此付近聚楽第址」の石碑。 この石碑は、聚楽第本丸西濠があった所で、先ほど大宮中立売のハローワークの前に建つ「聚楽第址」の石碑が、 聚楽第の東濠があ ...

大宮中立売から大宮通を少し外れて、中立売通りを西に向うと、中立売通松屋町西入新白水丸町にあるのが、親鸞聖人の旧蹟とされる「勝福寺」。 駒札によれば、 『寺伝によれば、当寺はもと「清水(しみず)庵」、「一条坊」と呼ばれ、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人(11 ...

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