四条宮寛子が建立した金色院に所縁の神社として、今に残るのが「白山神社」である。 創建は古く、延暦9年(790)になるというが、寛子が金色院を建てた44年後の久安2年(1146)に金色院の鎮守社として開かれている。 鳥居をくぐり白川に架かる白山橋を渡 ...
2014年02月
四条宮寛の供養塔「九重石塔」
白川金色院は、四条宮寛子が康和4年(1102)に創建したと伝えられるが、今に残るものは、鎮守社の白山神社と惣門、そしてこの石塔のみである。 白川金色院跡の石碑から少し奥に入った所に残る、九重石塔と五輪塔群。鎌倉時代後期に寛子の供養塔として建立されたも ...
白川金色院跡
金色院の惣門をくぐると、そこには金銀紗に彩られた堂塔伽藍が立ち並び、まさに平泉中尊寺の金色堂がこれを真似て造られたというのも頷ける。 ・・・と書くところだが、今は惣門をくぐっても何もない里山の静かな佇まいがあるだけである。 その跡をしるした石碑が一 ...
金色院の惣門
地蔵院を出、坂を登ると左に金色院の惣門が見えてくる。 金色院は藤原頼通の娘で後冷泉天皇の皇后であった藤原寛子(かんし)が平等院の奥の院として康和4年(1102)に建立し、 後に廃絶となり、その建物は今は殆ど残ってはいないのだが、僅かに惣門と白山神社 ...
地蔵院
宇治文化センターから随分と遠回りをして、白川の里へと着いた。白川の名は、平安貴族が宇治に別荘を構えた際に、洛東の白川に因んで、ここを宇治の白川と名付けたという。 白川の里には、今は無い「金色院」があった所だが、その金色院の遺仏・遺品を数多く伝え、白川 ...