2013年08月

暲子内親王が祀られた場所から、嵐電の線路を渡り西に行くと(鳴滝の駅から東に出ず、西の昔は店があったのであろう短いアーケードを抜けたところを西に)オムロンの創業者である、立石一真の旧邸がある。 立石一真はオムロンを創業した人物で、一代で日本を代表する企 ...

鳴滝に住んだ映画関係者で、脚本家や映画監督以外では、映画俳優に市川雷蔵がいる。 (写真は実際の住居跡ではなく、こんな風景のなかにあったのだというのを、感じてもらいたいと思うのである。) 市川雷蔵は歌舞伎役者から、大映の映画俳優に転じた人であり、昭和 ...

八尋、稲垣、山中と続いたので、ここで「鳴滝組」のことについて触れておこう。 「鳴滝組」とは、昭和9年(1934)に、この鳴滝に住んでいた若い映画人である。 「山椒大夫」の八尋不二、「大菩薩峠」の三村伸太郎、そして藤井滋司の脚本家3人と、 「無法松 ...

稲垣や八尋らと同時代を生きたのが、山中貞雄である。 (写真は実際の住居跡ではなく、こんな風景のなかにあったのだというのを、感じてもらいたいと思うのである。) 山中貞雄は、明治42年(1909)に京都の東山に生まれ、大正11年(1922)に、京都市立 ...

鳴滝に住んだ映画人で良く知られた人物の住居が比較的近くに並んでいたようである。 今は故人となってしまったが、映画監督の稲垣浩と山中貞雄、そして映画俳優の市川雷蔵である。 夫々の家もなくなり、今は市川雷蔵の旧宅が残るのみである。 写真は実際の住居跡で ...

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