2013年08月

山越中町のバス停から、一条山越通の交差点に出る。ここを左に行くと、広沢池を経て嵯峨大覚寺(嵯峨院)に至るのだが、今回はここを右に折れて東へと道をとる。 すぐ右に「弁慶足形池」と呼ばれる池がみえる。弁慶と名が付くからには、武蔵坊弁慶と何か所縁が ...

千代の古道を、さざれ石山を過ぎると市バスの「山越中町」のバス停がある。 山越中町から先に行くバスはなく、ここが山越道を通るバスの終点となる。 10・59系統は、鳴滝-御室仁和寺-妙心寺-等持院を通り、北野白梅町から三条京阪前へと、 また11系統が ...

文徳天皇田邑陵をすぎて、山越道を造園業の家々を両側にみながら西に歩くと、四つ辻に出会うことになる。 この四つ辻に「千代の古道」と刻まれた石碑が建っていた。千代の古道とは、平安時代に洛中から嵯峨院(大覚寺)に通じる道だと言われ、常盤から鳴滝を経て ...

立石一真旧邸から、さらに西に行くと、惟喬親王と惟仁親王(後の清和天皇)の父である、文徳天皇の田邑陵がある。 そこに至るまでの道の両側に、造園業を営む家々が続き、さらに文徳天皇陵を越え、山越通沿いに周山街道までに、造園業者が並ぶ。 これは江戸時代に、 ...

立石一真旧邸内の西側の一画が、東映で映画を撮った監督、内田吐夢の住居あとだったようである。 (写真は実際の住居跡ではなく、こんな風景のなかにあったのだというのを、感じてもらいたいと思うのである。) 内田吐夢は、明治31年(1898)岡山の銘菓店の三 ...

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