2013年07月

菟道稚郎子の墓とされる所から、京阪宇治駅に戻るその前に、平成19年(2007)に太閤堤の一部が発掘されたのである。 太閤堤は豊臣秀吉が伏見城築城の際に、伏見から奈良へと宇治を経由せずに、豊後橋(現在の観月橋)から小倉へと、 巨椋池を埋め立てた大和街 ...

宇治橋を渡り宇治川の右岸に、京阪宇治駅のそばを通り、何の虫かわからないような虫が群れ飛んでいたなかを、宇治川の土手を下流へと歩く。 そこにあるのが、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓とされる所である。 宇治橋の左岸、槇島堤から見ると、対岸にこんも ...

槇島堤のその先には、宇治橋がある。宇治橋は、大化2年(646)に架けられたという、日本でも古い橋だという。 その謂われは、橋近くの橋寺放生院にある「宇治橋断碑」に刻まれているのだが、石碑には首部の三分の一しか見つかってなく、他は欠損しているのだが、「 ...

槇島堤の上を宇治川に沿って南に歩くと、対岸に京阪電車宇治線の宇治駅と、宇治川に架かるJR奈良線の宇治鉄橋が見えてくる。 京阪電車の宇治駅は、京阪本線の中書島を起点とする宇治線の終着駅である。 途中に槇島堤の始まりとなる、観月橋の駅もあり、大阪から宇 ...

祭りの喧騒を横に、坂道を北にあがると・・・ 宇治川が眼下に広がるのだが、この堤こそが観月橋から続く槇島堤なのである。 槇島堤は豊臣秀吉が伏見城を築く時に、宇治川の流れを、それまで巨椋池に流れ込んでいたものを、 伏見城を経て淀川へと結ぶために、宇 ...

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