2013年06月

北白川廃寺跡がよく分からないまま、白川通に出、上終町京都造形大学前のバス停から東に入った所にあるのが「禅法寺」である。 北白川には白鳳の頃に壮大な寺院があったというが、その詳細は分かっていない。 平安期に伝教大師が比叡山延暦寺を開き、その高弟慈覚大 ...

北白川は白川の流れが作った扇状地で、古くから住人があり、縄文時代からの遺跡が数多く残っている。 そんな遺跡のなか、昭和9年に、北白川廃寺と名付けられる金堂の跡が発掘され、 さらに昭和50年には塔の基壇が見つかり、その規模もかなり大きな寺だということ ...

大山柢神社から日本パブテスト病院まで引き返し、病院横の山道を西に入り、将軍地蔵堂を目指すことにした。 車も通れないような小道を西に歩いて行くと、南が少し開けた所があった。そこから見えたものが・・・ そこから見えたものは、銀閣寺裏の如意ケ岳に、夏の ...

地龍大明神は大山柢神社の末社であり、山の神々を祀る神社として古くからこの地にある。 この辺り一帯を、東山三十六峰の一峰である瓜生山という。瓜生山を山の神とし、古来より崇められてきたのだが、駒札によれば、 『山の名は播磨国より、牛頭天皇(八坂神社祭神 ...

日本バプテスト病院道を、病院の方に歩く。病院の駐車場を抜けると、瓜生山へと続く山道となる。 道は二手に分かれ、小川の流れる右の道は、途中で行き止まりとなるので、瓜生山へは左に道を取る。 その途中にあるのが、地龍大明神。その駒札によれば、 『山の ...

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