2013年05月

石造りの萬世橋からさらに白川を上流に、次に架かる橋を「御殿橋」という。 御殿橋という名の由縁は、志賀越道からこの橋を渡り、その突き当りにあった「照高院殿」への橋であることから、この名が付いたという。 何の変哲もない橋なのだが、橋のたもとに「御殿橋」 ...

北白川天神宮への参拝は、白川の流れを越える必要があるのだが、その流れに架かる石橋が「萬世橋」である。 北白川の石工達が、その儀寿の粋を尽くして造った石造りの建造物、その圧巻が北白川天神宮の門前の白川に架かる「萬世橋」である。 明治27年の建造になり ...

北白川天神宮から白川を挟み、北に御旅所がある。 御旅所は、神幸祭(神霊が本殿を出て神輿に移り、氏子地域を巡る祭)で、巡幸の途中で休息や宿泊をする場所の事を言う。 北白川天神宮の祭礼として「高盛御供(たかもりごく)」という神事がある。 神に供える供 ...

北白川天神宮の石の鳥居をくぐり、手水舎の横にあったのが、白川女の碑。 白川女は、北白川の里から京の町に花を売りの行商に出かける女性達で、この碑は、白川女風俗保存会によって、昭和38年4月に建てられたものである。 碑文には、 『白無垢の下着、無地の ...

北白川は、近くの山から掘り出した白川石(花崗岩)を加工する里として、明治の最盛期には数百人の石工がいたといが、今では琵琶町に一軒を残すのみとなっている。 そんな石工達が丹精込めて造り上げた石細工を見てみようと、志賀越道を東に北白川天神宮へと向かう。 ...

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