また乗願院の前には、「北白川小学校開校の地」と学校の創立百周年を記念して建てられた石碑がある。 石碑には、 『明治7年2月10日、この地より東南約20米毘沙門堂に於て、京都府愛宕郡白川村立白川小学校開校。開校時の生徒数約30名にて、明治10年10月 ...
2013年05月
霊芝山乗願院
聖護院陵墓と智成親王陵に参って、再び上御陵橋を西に渡り、志賀越道まで戻ると「霊芝山乗願院」がある。 乗願院は、比叡山三千坊の一つで、織田信長の叡山焼討ちで消滅するが、慶長13年(1608)に再建されるが、 幕末の大火で堂宇を焼失してしまうのだが、上 ...
聖護院宮陵墓
智成親王陵から北東に100mほど坂道を行くと、小高い丘の中腹に「聖護院宮陵墓」がある。 ここは照高院歴代の院主を祀る陵墓であり、照高院が聖護院の退院所であったことから、この墓所は聖護院宮陵墓と呼ばれている。 ここに祀られている歴代の院主は、 道 ...
智成親王陵
御殿橋から白川をさらに上流へと向かうと、上御陵橋が架かる。この橋を渡ると直ぐに、智成(さとなり)親王の御陵がある。 ここは陵墓という形態には見えなかったが、正面からではなく道路の側からであり、ここが智成親王の御陵だと知らなければ、見過ごしてしまいそ ...
谷崎潤一郎と北白川
照高院宮があった北白川仕伏町は、谷崎潤一郎が京都を去ってからも、時々、京都に戻り滞在をした渡辺家があった所である。 谷崎は、昭和24年に京都下鴨糺の森の隣に「潺湲亭(せんかんてい)」と名付けた邸宅に転居するが、京都の気候に耐えられず、7年後の昭 ...