01内蔵助像mid
そして10月、大石は江戸へと向かうのだが、忠臣蔵では「大石東下り」として、一場面が設けられている。
道中、箱根で曽我兄弟の墓に参り、仇討ちの成功を祈願したという。
東下りにおいて大石は、垣見五郎兵衛の名を使い江戸に向かっているのだが、途中で本物の垣見五郎兵衛に出くわすこととなる。
東映の時代劇では、大石内蔵助に片岡千恵蔵が、垣見五郎兵衛に市川歌右衛門と両御大が並び、場面を盛り上げるのである。
日野家の家臣、垣見五郎兵衛が自らの名を語った偽者がいるのを知り、その宿に乗り込むのだが、話の途中に相手が赤穂の大石内蔵助だと知り、その事情を察し自らの通行手形を渡し、自分こそが偽者だと言いその場を去って行くのである。
勿論これは後世の作り話であるのだが、大石が東下りに際しては垣見五郎兵衛の名を使った事は、事実だったようである。
そして討ち入りの前夜の「南部坂雪の別れ」がある。これは、討ち入り前夜、赤坂南部坂に住む、浅野内匠頭の妻・瑤泉院(ようぜんいん)に別れの挨拶に行くのだが、そこに吉良の間者がいることに気付き、本心を隠し「西国に仕官するので別れに来た」と言う。瑤泉院はそれに激高するのだが、吉良に討ち入ったことを知り後悔するという話だが、これも作り話で、これには色々なシナリオがあり、夫々に異なった場面がある。
実際は、大石が瑤泉院を訪ねたことはなく、用人に手紙を送っているだけである。
そして大石ら四十七士は吉良邸に討ち入り、吉良の首級をあげ本懐を遂げるのである。
辞世は「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」と詠んでいる。