小川通から油小路をさらに南に歩くと今出川通に出るのだが、もう少しで今出川通というところ、白峯神社の東側に「本阿弥光悦京屋敷跡」の石碑が建つ。 この辺りは、本阿弥の辻子と呼ばれ、本阿弥家があった所である。油小路をはさんで西側に本宅、東側に分家の光悦の旧 ...
2012年01月
撞かずの鐘の鳴虎報恩寺
宝鏡寺から西に、小川通寺之内下るにあるのが「報恩寺」である。 寺の前に「鳴虎報恩寺」との石柱が建つが、鳴虎とは文亀元年(1501)に、後柏原天皇より下賜されたもので、宗代~明代の中国画家により描かれた、虎が谷川で水を飲んでおり、その背後には松が、そこ ...
宝鏡寺門跡(百々御所)
人形の寺といわれる宝鏡寺。上京に点在する尼門跡の一つである。 山門前にある駒札によると、 『宝鏡寺は、西山と号する臨済宗の寺院で、寛永21年(1644)に後水尾天皇の皇女理昌尼王が入寺してからは尼門跡寺院として栄え、今日も百々御所の名で知られる。 ...
慈受院門跡
本法寺から堀川通を少し下ると、慈受院門跡がある。 竹之御所・烏丸御所とも呼ばれる。その駒札によると、 『正長元年(1428)室町幕府第四代将軍足利義持の正室、日野栄子が夫の遺言により皇室の菩提を弔うために創建したと伝えられる。慈受院という寺名は日野 ...
本法寺
興聖寺から再び堀川通を東にわたり、南に少し行くと、本阿弥家の菩提寺である「本法寺」がある。 本法寺は、日像上人が妙顕寺を創建したことに始まる、日蓮宗の洛中法華21ケ寺の一つで、山号を叡昌山といい、尊陽院、教行院、教蔵院の三つの塔頭がある。 本 ...