2011年09月

奥渓家住宅から天神道を北に少し歩いたところにあるのが「選沸寺」 ここも非公開の寺院で、正面の門も通用門も閉ざされていて、内に入ることは出来ない。 臨済宗建長寺派の寺で、宝暦年間(1761)に洛西の念仏寺を譲り受けて仏日が改宗し、ここに移り選沸 ...

安楽寺天満宮から天神道に戻り、さらに北に歩くと、京都市指定有形文化財である「奥渓家住宅」の長屋門がある。 この建物は、江戸時代に仁和寺門跡の御殿医を務めた、奥渓家の下屋敷跡であり、 正徳(1716)から享保(1724)にかけて建てられたものであり ...

北野天満宮の参道である天神道をさらに北に、一筋目を左に折れると「安楽寺天満宮」がある。 ここは菅原道真公が埋葬された「筑紫安楽寺」に因んで、この西之京に菅公の像を祀ったことに由来するという。 北野天満宮の創建以来、この地の七ヶ所に神供所がおかれ西 ...

文子天満宮旧蹟から、天神筋道を北に少し行ったところにあるのが「西之京ずいき神輿」の看板が掛かる集会所がある。 この辺りは、北野天満宮の神人が多く住んでいた所であり、北の天満宮もその御旅所も近くにあり、10月のずいき祭の際には、この辺りを「ずいき神輿 ...

華開院の前、天神筋道を北に歩くと「文子天満宮」の扁額が掛かる石の鳥居がみえてくる。 鳥居の横、石垣の中に「文子天満宮旧蹟」の石碑が建つが、これはこの天神筋道が北野天満宮に仕える神人が住んでいた所で、 彼らによってここに多治比文子の霊を祀っていた ...

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