2010年12月

鳥戸野参道の石碑から、京都タワーを眺めながら北西に歩き、その小道がひらけると、そこに「剣神社」がある。 京の町には、都を守護するために様々な手段が施されてきた。その一つとして、鬼門といわれる方角に神社や仏閣を建て、その厄を払ったのである。 この「 ...

今熊野観音から、鳥居橋の下をくぐり北へと向かう小さな山道を数分歩くと『鳥戸野陵参道』と刻まれた石碑が、苔むした石段の下に建っている。 鳥戸野(とりべ)の陵は、一条天皇の中宮であった、藤原定子を祀っている。 定子は、藤原道隆の娘で、平安時代の貞元2 ...

来迎院から、さらに奥に歩き、その下に川は流れていないが、赤い「鳥居橋」を渡ると『今熊野観音寺』である。 天長年間(806~833)、弘法大師(空海)が寺を建て観音像を安置したのが始まりとされ、のち斉衡年間(854~857)に伽藍や僧坊が造られた。 ...

来迎院の前にあるのが、泉涌寺の塔頭の一つである『善能寺』 善能寺は境内に堂宇が一つあるだけである、ひっそりとした寺であるのだが、大同元年(806)に、弘法大師が八条猪熊二階堂町に創建したのが始まりとされ、 天文24年(1555)に泉涌寺内に移され ...

泉涌寺から今熊野さんに行く途中にあるのが、日本最古の荒神像を祀るという『来迎院』である。また、泉山七福神の第4番「布袋尊」の札所でもある。 泉涌寺の参道を少し外れ、小さな下道に降り、石の小橋を渡ると、来迎院の山門である。 泉涌寺の参道を少し入った ...

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