土佐招魂社の奥には、吉村寅太郎外天誅組の墓所がある。吉村寅太郎については、木屋町の寓居跡で詳述したので、ここでは菩提前にある駒札から引用してみることとする。 文久3年(1863)8月13日、大和行幸の詔が出るや「攘夷親征の奉迎」と土佐の吉村寅太郎をはじめ ...
2010年06月
京都、龍馬をゆく-土佐招魂社
東山霊山のもと霊明社の寺域であった、旧霊山官修墳墓には、明治維新を向える道半ばで散っていった勤皇の志士たち、1,356名の霊(みたま)が祀られている。 「京都、龍馬をゆく」を締め括るにあたり、霊山に祀られた志士たちの志ざしを振り返ることにより、京都での ...
陸軍顕彰の碑-余談その9
霊山護国神社の境内には、太平洋戦争で京都の師団に属した陸軍の連隊の顕彰の碑が建っている。その殆んどが陸軍の連隊であり、工兵、輜重兵、衛生隊、防疫給水部、歩兵など日本陸軍が太平洋戦争を戦った連隊の顕彰碑である。 昭和18年7月に、学生の徴兵猶予が全 ...
京都、龍馬をゆく-霊山護国神社
霊山歴史館の向かいには、幕末、維新に殉節した勤皇の志士と、それ以降、太平洋戦争に至る京都府出身の英霊7万3千11柱を祀った「霊山護国神社」がある。 その昔、この地は霊明社という神社があり、幕末から明治維新にかけて道半ばで殉節した勤皇の志士を奉祀して ...
霊山歴史館-余談その8
東山霊山の地は、もともと霊明社という神道の神社があった。 明治を向かえる50年ほど前、文化6年(1809)の創建になるのだが、幕末には、道半ばで斃れた志士達がこの社域に祀られ、勤皇の志士たちの聖地となったのである。 霊山歴史館は、東大路通の「東山 ...