霊山の聖地に入ると、すぐに目に付くのがこの碑である。神道碑と云い、国家に功績のあった人物を顕彰するために、墓所への参道に建てられるものである。 特に、この霊山にある木戸孝允の神道碑は、明治天皇の勅により建立されたので、勅撰碑とも呼ばれる。 この木 ...
2010年06月
京都、龍馬をゆく-京都燃ゆ(禁門の変)
霊山には禁門の変(蛤御門の変)で戦死や自刃をした志士たちが多く祀られている。 禁門の変は、長州藩が朝廷での勢力を取り戻そうと起こした戦であるが、西国の各藩の志士たちがこの戦に参戦しているのである。 禁門の変は、御所にある夫々の御門を堺に対峙し、幕府8 ...
京都、龍馬をゆく-池田屋騒動と志士たち
幕末は勤皇も佐幕もたがいに暗殺に明け暮れた時代であったのだが、特に勤皇の志士たちが志を半ばにして、悲運の死をとげた時代でもあった。 その代表的な出来事が、元治元年(1864)に新選組が池田屋にて志士たちを襲った「池田屋騒動」である。そこで非業の死を遂げた ...
相撲勤皇-余談その10
霊山には又、こんな石碑も建っている。勤皇は武士だけでなく、相撲取りにも広がっていたのである。 霊山の一角に「勤皇力士 錣形岩右衛門之碑」という、錣形の子孫が建てた石碑がある。 碑文によると 『京都相撲横綱、錣形岩右衛門は上方相撲頭取として活躍す ...
京都、龍馬をゆく-草莽の志士たち(梅田雲濱之碑)
明治維新の幕開けは安政の大獄から始まったといっても過言ではない。この大獄で勤皇や攘夷、反ば幕の思想を持った人々が捕えられ、獄死や斬首されるのだが、その思想が明治維新への道を進む礎となったのである。 霊山にも、それら草莽の志士たちを祀る碑が建っている ...