2009年12月

大雄宝殿の東にあるのが「斎堂」 『斎堂』 斎堂とは、いわゆる食堂のことであり、ここで300人もの僧が一同に介して食事をすることが出来るのである。 緊那羅王菩薩像を安置し、堂宇の横額と左右の聯は、木庵禅師の筆になるものである。 『開版』 斎堂前 ...

大雄宝殿から東側にある堂宇(売茶堂~聯燈堂~鐘楼~伽藍堂)を巡る。 『本殿(大雄宝殿』 萬福寺の本堂で大雄宝殿とも呼ばれ、天王殿の後方に位置する。 寛文8年(1668)の建立で、単層入母屋造である。一重の裳階(もこし)が付いている為に、一見2階建 ...

萬福寺の堂塔伽藍は、天王殿・本堂(大雄宝殿)・法塔を一直線上に置き、左右に東西の方丈、斎堂と禅堂、伽藍堂と祖師堂、鐘楼と相対して置かれている。 天王殿から右に順次に巡ってみよう。 『天王殿』 三門を入って真直ぐ進むと、石段の上に建っていて ...

方生池の東にある、萬福寺の三門である。 『三門』 三間三戸の重層の楼門造で、延宝6年(1678)の建築で、柱は総て円柱を用いた石製太鼓形の盤の上に立っている。 正面には隠元禅師の筆になる「萬福寺」の横額が懸かっている。 『禁牌石』 「不許葷酒 ...

『山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄』 と、菊舎尼の詠んだ句碑が建つ。 総門から三門に向かう途中、三門の横にあるのが、寛政2年(1790)3月に、三十八才の菊舎女が始めて萬福寺を訪れた折に、 白壁土塀の続く黄檗山の中国明風のたたずまいに酔いしれて、 ...

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