2009年11月

清涼寺の起りは、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる:822~895)が9世紀後半に営んだ山荘「栖霞観(せいかかん)」であると云う。 本堂の東側にある「阿弥陀堂」 阿弥陀堂は旧栖霞寺の本尊の「阿弥陀三尊像」が安置されていた。 栖霞寺は源 ...

再び、京都の嵯峨野に戻ります。 嵯峨野を歩く旅も大詰めを向え、嵯峨釈迦堂の名で知られ、11月の第2日曜(今年は、11月8日)に、夕霧供養が行なわれた「清涼寺」に着く。 清涼寺はもと嵯峨天皇の離宮があった所で、皇子源融が棲霞館と名付けた山荘を儲け、後こ ...

愛宕道を清涼寺の西壁に沿って南に少し歩くと、宝筐院(ほうきょういん)という、こじんまりした寺院がある。 宝筐院は、平安時代に白河天皇(1053~1129)によって創建され、善入寺と称された。 南北朝時代の貞和年間(1345~50)に、夢窓疎石の高 ...

愛宕街道の中院には花魁「夕霧太夫」の生家があったと云われている。夕霧太夫は、京都・嶋原、大坂・新町郭にいた太夫である。 夕霧太夫の生年は不詳だが、どうやら嵯峨のこの辺りで生まれたと云い、名を照と云う。 嶋原の扇屋で太夫となり、扇屋が大坂の新町に移 ...

中院町の愛宕道の中ほどにある、小さな、お堂は「慈眼堂」といい、別名を「中院観音」とも云う。 12世紀の末、藤原定家(1162~1241)は中院に山荘を構え、嵯峨野の自然を愛して、しばしばこの地を訪れたという。 この慈眼堂には、定家の念持仏といわれ ...

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