2009年10月

大覚寺からさらに北へ。嵯峨野の一番北にある、直指庵へと向かう。 大覚寺の西側の道を北に歩く。有栖川に架かる橋の畔に、こんな石仏をみた。誰かが備えた花一輪が、何故か気になり手を合わせ、川を越えた。 大覚寺から直指庵へは、大沢池を北に出て真直ぐ北に ...

『京都 嵐山 大覚寺  恋に疲れた 女が一人』 と歌われた大覚寺。その西に接するように大沢池がある。 大覚寺は、もと嵯峨天皇の嵯峨離宮があった所で、譲位の後、仙洞御所となるが、貞観18年(876)に離宮を改めて寺となし、大覚寺と名付けられた。 ...

『滝の音は 絶えて久しく なりぬれど       名社(なこそ)流れて 尚聞こえけれ』 と詠まれた、名古曾滝。 大沢池の北東100mにあるのが、小倉百人一首の中で、藤原公任が詠んだ「滝の音は・・・・・」の歌で有名な、名古曾滝の石組みが残る。 ...

大沢池にある「菊島」と巨勢金岡が配置したという「庭湖石」がある。 大覚寺は華道の嵯峨御流の宗家で、寺伝によると、大沢池の菊島に自生する菊を、嵯峨天皇(在位:大同4年〔809〕~弘仁14年〔823〕)が瓶に挿したことに始まると云う。 菊島は、その下 ...

大沢池には、また多くの堂宇が建っている。志納金200円を箱に納め、望雲亭を見て奥に。 格子の塀に囲まれた小さな門をくぐる。この門をみても、その昔、大沢池が嵯峨院の内にあったことがうかがえる。 大覚寺の建物を左に見て中に進むと、石の小さな鳥居が建 ...

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