2009年09月

嵐電嵯峨の踏切を越え少し行くと、長慶天皇嵯峨東陵がある。 京では天皇の陵墓が所々で目に入る。この嵐山にも長慶天皇陵がる。 南に200m程行くと、渡月橋の架かる桂川に出るのだが、この辺りは観光客も滅多に来る事はなく、歩く人影もまばらである。 ...

何年ぶりに嵐山を訪れたであろう。随分昔に、嵐電の蚕ノ社に親戚がいて嵐山に連れて行ってもらったことがある。嵐山の何処を歩いたのか今では記憶が定かではない。 今は、そのご夫妻も鬼籍に入ってしまったが、おばさんが高知生まれで母親の叔母にあたる人であった。 ...

釜座通を北に、一筋目の姉小路通を右にまがると、民家に挟まれて小さな社が窮屈そうに鎮まっていつ所が「高松神明社」である。 また、ここは醍醐天皇の皇子、源高明の邸宅があった所で、後に娘の明子が住み、高松殿と呼ばれた。 『高松殿は源高明(みなもと たか ...

新町通から三条通を左(西入ル)に入ると、釜座(かまんざ)通との三叉路南側に、犬矢来で囲った「大西清右衛門美術館」がある。 江戸初期から400年の間、大西家はこの地に住んで、歴代の当主は清右衛門を名乗り、千家十職の一つ、京の湯の釜造りに専念をしてきたので ...

新町通を北に、六角通をこえた所に「紫織庵」が、その姿をあらわす。 ここは江戸後期に、加賀・彦根両藩のご典医となった、萩野元凱が住まいを構えた所である。明治の初めまで子孫が医業を継いだが、大正15年(1926)井上家が購入し、今の姿となる。 その後、川 ...

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