02毛利家2mid
杉野十平次次房(裏門:28才)といえば俵星玄蕃との話で知られ、三波春夫の長曲(約9分の長さ)「元禄名槍譜 俵星玄蕃」でその関係が語られている。
「姿そばやに やつしてまでも 忍ぶ杉野よ せつなかろ・・・」と、夜なき蕎麦屋の十助として吉良邸を探っていたが、俵星玄蕃が常連客となり、親しく言葉を交わすようになる。
12月14日に、独り時を過した俵星が「心隅田の川風を 流れてひびく勇ましさ  一打ち二打ち三流れ・・・」の山鹿流儀の陣太鼓が聞こえ、赤穂浪士の討ち入りを知り、「なげしにかかる先祖伝来の俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、切戸を開けて一足表に踏み出せば、 天は幽暗地は凱々たる白雪を、蹴立てて行手は松坂町・・・」
吉良邸に駆けつけると、今討ち入りの真っ最中で、大石に助太刀を願うのだが・・・。
その時に「一人の浪士が 雪をけたてて「先生」「おうッ、そば屋か」」と、そこで真実(まこと)は杉野十平次と知るのである。
その後、「両国橋のたもとで石突き突いて、槍の玄蕃は仁王立ち」するのである。
実際は、俵星玄蕃なる人物は実在すべくもなく、後世に創られた架空の人物であり、従って杉野と俵星との話は、後日、講釈師が見てきたような嘘をついて創作された物語なのである。
勝田新左衛門武堯(表門:24才)と続き・・・