細川家お預けになった後の6名は、大石から下に並んで立っている。

01細川家2mid
潮田又之丞高教(裏門:35才)は、大石の叔父の娘を妻に迎え、大石とは親戚筋にあたり、大石の信頼も厚く討ち入りまで、大石の下で陰日なたなく働いた。
吉良上野介を討ち取ると、その首級を槍の先に括りつけ、泉岳寺に引き上げている。
早水藤左衛門満堯(表門:40才)は、萱野三平と共に、第1陣の早駕篭で、内匠頭の刃傷を赤穂に知らせた人物である。
弓の名手で、討ち入りには弓をもって戦っている。
赤埴源蔵重賢(裏門:35才)は、討ち入り急進派の一人であり、忠臣蔵では「赤埴源蔵徳利の別れ」として良く知られている。
討ち入りに際し源蔵は、今まで迷惑を掛けた兄に、今生の別れを告げんと屋敷を訪ねるが、あいにく兄は留守で、義姉もまた金の無心だろうと取り合わず、やむなく下女に兄の羽織を鴨居に吊るしてもらい、それを兄と見立て、今生の別れを告げ酒を酌み交わして帰ってゆくのである。
その話を下女から聞いた兄はもしやと思い、泉岳寺に引き上げる赤穂浪士を見送る中に、源蔵の姿を見つけるのである。
という話なのだが、実際には源蔵に兄はいなく妹と弟であり、源蔵は12月12日に妹の夫である田村縫右衛門を訪ね、遠国へと旅立つので暇乞いにと述べ、酒を酌み交わしている。
これが後日、赤埴源蔵徳利の別れとして脚色されたのであろう。
奥田孫太夫重盛(表門:57才)は、堀内同情の高弟で、大太刀の使い手として知られ、屋敷内で奮戦をする。
矢田五郎右衛門助武(表門:29才)が並び、次の大石瀬左衛門信清(裏門:27才)は、大石家の分家にあたり、内匠頭が刃傷に及んだ時には、参勤交替で江戸に居て、第2陣の早駕篭として、内匠頭の切腹を赤穂に知らせた人物である。
この6名が、先の11名と合せて、細川家に預けられた赤穂義士である。