京都駅から市バス「A3」乗り場の「206」系統に乗り、「乾隆校前」で降り徒歩3分で、千本ゑんま堂の通称で知られる「引接寺(いんじょうじ)」がある。
ここには紫式部を供養する十重の石塔があり、その傍に紫式部の銅像が建っている。

01紫式部像mid
本堂の横、少し奥まった所に、十重の石塔が建っているのだが、この石塔が正徳3年(614)に円阿上人の勧進によって建てられたという、紫式部の供養塔と言われるものであり、その傍に紫式部の銅像が建っている。

02供養塔mid
その説明板によると、
『一重目は、円形の基礎石の表面に十四体の地蔵小像をきざみ、その上の軸部に、薬師如来(東面)、弥勒菩薩(南面)、定印阿弥陀如来(西面)、釈迦如来(北面)の四佛座像をあらわし、像の横に、至徳3年(1386)8月22日に、僧円阿の勧進によって建立された旨の銘がある。
二重目は、四隅に柱を立て、その中に鳥居を刻んだ円柱の軸部を置いている。その上には、九個の笠石を置いて、十重の塔としている。
これは、二重の宝塔と十三重塔の残欠の二つを組み合わせた珍しい偶数の塔で、古来より、紫式部の供養塔と伝えられている。』
                      出典:【紫式部供養石塔の説明板】より

03鐘撞き堂mid
引接寺の本尊はなんと、地獄の入口で死者を裁く閻魔大王である。そのことから千本ゑんま堂と呼ばれ、京の三大葬送地のひとつ「蓮台野」への入口に位置している。
ちなみに、嵯峨の「化野」、東山の「鳥辺野」と「蓮台野」が、京の三大葬送地と呼ばれる。
千本ゑんま堂は、昼は宮中に仕え、夜は地獄に赴き閻魔大王に仕えたという小野篁(802~853)が、この千本通に閻魔大王の姿を刻み祀った祠が始まりといわれている。
小野篁は亡き先祖をこの世に向かえ、家で数日を過ごした後に再び来世に帰ってゆくという「精霊迎えの法」を閻魔大王から授かり、今に盂蘭盆会として受け継がれている。
その迎えるときも、また送るときも打ち鳴らされる鐘撞き堂がある。

04本堂mid
千本ゑんま堂は駒札によると、
『光明山歓喜院引接寺とごうする寺院で、本尊として閻魔法王を祀り、一般に「千本ゑんま堂」の名で親しまれている。
開基は小野篁卿(802~853)で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之廟に使えたと伝えられ、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まる。 
その後、寛仁元年(1017)、叡山恵心僧都の法弟、定覚上人が「諸人化導引接佛道」の意を以て当地に「光明山歓喜院引接寺」を開山した。
現存の閻魔法王は、長享2年(1488)に造立されたもので、高さは2.4メートルある。篁卿は「お精霊迎え」の法儀を授かり、塔婆供養と迎え鐘によって、この世を現世浄化の根本道場とした。以降、宗旨・宗派を問わない民間信仰が続いている。
五月に行われる千本ゑんま堂大念仏狂言は、京都三大念仏狂言のうち唯一の有限劇で、京都市無形民俗文化財に指定されている。
名桜「普賢像桜」は咲いた時に双葉を持ち、花冠のまま落ちる珍しい桜である。往時、この地に桜が千本あったことと、精霊供養の「千本卒塔婆」に由来して、「千本」という地名が生まれたと言われている。
また圓阿(えんあ)上人が至徳3年(1386)に建立した紫式部供養塔は、貴重な十層の多重石塔で、国の重要文化財に指定されている。』
                    出典:【千本ゑんま堂 引接寺の駒札】より

05紫式部墓所mid
紫式部の墓所や供養塔は各地に存在するのだが、そのうち京都には二つが確認されている。
一つは引接寺(千本ゑんま堂)にある供養塔、もう一つは堀川通北大路下る西側にある墓所である。
紫式部は、平安時代の女人で、紫は源氏物語の「紫の上」から、式部は父の役職である「式部大丞」から取ったものであり、今でいうペンネームで、本名は不明である。
生没年も不明で、源氏物語が何才の時に書かれたものかも、よく判っていないのである。
推測では、天延元年(979)頃に生まれ、娘の頃に、父の赴任先の越前国で2年程過ごし、長保元年(999)に一女(藤原賢子)を設けている。
その後、一条天皇の中宮、彰子に仕え長和5年(1016)に歿したとされていて、その墓所と伝えられるのがこの地、北区紫野西御所田町に残るのである。

何故か紫式部の横には小野篁の墓碑が建っているのだが、伝えによると、源氏物語を読む者や、物語を書いた者が地獄に落ちるとの噂が世に広がり、紫式部の御霊を救う為に、その墓所を地獄を司るといわれた小野篁の墓の西に祀ったとの記述が古文にあり、このことから、この地を推測し紫式部の墓所として認知されることとなる。
その古文は、貞治(じょうじ)年間(1362~1368)に、源善成が書いた源氏物語の語り本である「河海抄(かかいしょう)」に「白毫院(廃寺)の南にあり、篁の墓の西に紫式部の墓あり」と書かれており、ここが紫式部と篁の墓だということが窺えるのである。

千本ゑんま堂(京都市上京区閻魔前町34)
京都駅から
▼「A3」乗り場から206系統で『乾隆校前』下車(所要30分)
 「乾隆校前」から、徒歩3分