六道珍皇寺を出て細い路地を南へ、少し登りの坂道が続きやがて大きな通りの東山五条の交差点に出る。
西に少し歩き、五条通を横切り、民家の立込んだ通りを入ると、河井寛次郎の住んでいた自宅がある。
今は河井寛次郎記念館として公開されている。
河井寛次郎は、清水焼の陶芸家で、明治23年(1890)生まれの島根県安来の人で、大正、昭和と、清水焼の陶芸に優れた人であった。
また、書や詩、随筆などの様々な分野でも活躍をされ、この五条坂の自宅兼仕事場であった住まいが記念館として残っているのである。
河井は生涯無名の職人として日用品の中に美を求め、作品には銘を入れなかったといい、昭和30年(1955)に文化勲章を、また人間国宝や美術会員など全て辞退をし、市井の陶芸家として一生を過ごしている。
余談だが「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」(昭和57年公開、マドンナはいしだあゆみ)で、葵祭で知り合う老人加納作次郎のモデルが河井寛次郎で、記念館が加納家として使用されている。
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youhobito
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