宮川町の花街は、建仁2年(1202)に鎌倉幕府二代将軍・源頼家の檀乙で、栄西が建立した「建仁寺」をとりまくように、祇園甲部や祇園東などと共に形づくられている。
松原通から外れるが、祇園甲部について少しふれておきたい。
祇園は江戸時代の寛永年間に、八坂神社の門前で八坂神社や清水寺に詣でる人たちの為に、茶屋として始まり、江戸末期から花街として発展をし、独特のしきたりを持つ祇園町が形成される。
明治14年(1881)に、祇園町が祇園甲部と祇園東新地(現在の祇園東)の二つに分かれることになる。
祇園は八坂神社の西側一帯の地で、祇園甲部は、四条通の南、花見小路から東の一部と、四条通の北、花見小路の西から縄手通辺りまでをいい、祇園東新地は、四条通の北、花見小路の東の一部をいう。
祇園甲部歌舞練場は東山花見小路にあり、明治6年(1873)に、建仁寺の塔頭・清住院を改装したものを使用して始まったが、大正2年(1913)に、現在の地に純和風の建物を建築し今に至っている。
平成13年(2001)に国の登録有形文化財として登録されている。
歌舞練場の横には、多くの劇場建築を手掛けた木村得三郎の設計になる、鉄筋コンクリート造5階建・地下1階の弥栄会館が、昭和11年(1963)に竣工している。
弥栄会館では様々な催しが行われ、1階のギオンコーナでは、舞妓さんの舞を近くで見ることが出来るなど、日本の7つの伝統芸能(京舞・茶道・華道・箏曲・雅楽・狂言・文楽)を観賞することが出来る。
現在、弥栄会館は休館中であり、ここに帝国ホテルが建設されることになり、2026年の開業を目指して工事中である。
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