何年か前にyahooブログが終了することになり、ブログをLive doorに移行した。
ところが2006年から始めた初期のものが移らなかった。
今回は、バスを「河原町松原」で降り東に、高瀬川を渡り木屋町通を横切ると、鴨川に架かる「松原橋」が見えてくる。
橋を渡り東山を望むと、その辺りが鳥辺野の葬送の地である。
今回はこの野辺送りの地を歩いてみようと、まずは松原橋を越えることにした。
松原通を東に松原橋を渡ると、そこは古代葬送の地・鳥辺野に続く六道の辻。
この地こそが、今世と来世の迷い道であり、この先に足を踏み入れると、六道輪廻の世界となる。
松原橋を渡り東山のほうに歩くと、清水寺となる。松原橋は清水寺へと続く、参詣の路だったのである。
この橋は、豊臣秀吉が京を改造するまでは五条大橋と呼ばれており、松原通が平安京の五条大路だったのである。
平安の都では、この橋を渡り死人を鳥辺野の葬送の地に送ったといい、この橋がこの世とあの世を分ける橋だったようである。
駒札には、
『松原通は平安時代の五条大路であり、当初は嵯峨天皇の勅命により橋が架けられたともいわれる。
清水寺の参詣道でもあったことから、人の往来が多く、大変賑わった都の目抜き通りであった。
元来,この地に架かっていた橋が五条橋であり、通りの両側に見事な松並木があったことから五条松原橋とも呼ばれていた。
安土桃山時代、豊臣秀吉が方広寺大仏殿の造営に当たり、この地に架かっていた橋を平安京の六条坊門小路(現在の五条通)に架け替え、五条橋と称した。
そのため、この地の橋の名前からは「五条」が外れ、以後、松原橋と呼ばれるようになった。
この通りは、歴史的・伝承的に話題が豊富である。
伝説に謳われる牛若丸と弁慶の決闘、「京の五条の橋の上」は、当地のことを指す。
また、この橋を東へ進むと清水寺に行き着くが、途中、冥界へ通じると言われる井戸で有名な六道珍皇寺がある。
現在架かる橋は、昭和10年(1935)鴨川の大洪水による倒壊流失後に架け替えられたものである。』
出典:【松原橋の駒札】より
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